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加賀に住んでるが分からん

 投稿者:畑 秀樹  投稿日:2016年 3月28日(月)20時34分43秒
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  私が知った事を書きます。
・加賀の吉崎の駐在横の場所は平家に反対する者たちが京から連れてこられ処刑された場所。今でも金閣寺の管主が供養に来ている。金閣寺と言えば北条家の関係で源氏を応援していますし、反対派が密会した場所にちなんで、名も無き大聖寺川の中州に出来た島を「鹿島」とした。(平の清盛の弟の領地だったからね) 負けた天皇が葬られているのではと思うのですし、鹿島の上の神社は天皇家の紋章入りの瓦があるけど、これは南北朝での戦いで皇室の方々が亡くなった場所にある神社には天王家の印がある。(敦賀金華山、鹿島の森、小松)
・日谷(ひのや)の城の横の谷ですが、捕らえた一向一揆衆を3000名ほど殺して谷に落とした。
・敷地の山の金吾城では弘治元年1555年8月13日(旧暦)に大一揆側が朝倉と小一揆勢の守る城に
計88,000が攻めたが全滅、
・片山津では源平合戦、橋立の加佐岬から黒崎にかけて源氏の追手に殺された平家の者たちを葬った塚があるが、数基加賀時代村が潰した関係で、若い役者が温泉駅の踏切で鉄道自殺、女性も同じ場所で線路で死んでいる。
・交通死亡事故がおきるだの自殺場所などでは地縛となった存在が作用して、幸せには生きられない現象が起きているんですが、目には見えないから可哀想にレベルで誰がこれがと理由は言えるが本当の理由は見えないのです。
・こんな曇り深い場所はそうそうないでしょう。
日本全体といえばそれまでですが、昔は加賀平野は湖沼であったので狭い陸地、それも海岸線や湖沼の側の小高い丘陵で、しかも近い場所で殺し合いが起きており、加賀に住んでいる私たちは、戦国時代から江戸時代で安定し国が統一されてから加賀の地を与えられていますので、自分たちが今でも苦しみ、恨みつらみでいるところに家を建て生活なんて、まともに天寿など全うできるわけがない。
・再び平野が湖沼になる可能性は非常に高くなったとしか・・・それでなくても日本人弱体化計画で薬漬けの生活では、どうにもならないし消滅可能性都市の加賀の住人はじり貧ですね。
・ですから坊主の供養?葬式仏教では救われないしセレモニーホールにはも墓場にも、うようよ存在しているので頭が痛くなる。スマホの電磁波だけではないのです。私たちは後から来たものであると思います。
・平家の落人達は山奥で生活していましたが、それで何とか農民も武士も作用しなかったのであろうか?それとも陰で暗躍していたのかもしれません、忍びのよう少数民族のようにね。
 
 
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