teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


十数年ぶりのシャルルドゴール空港で

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月16日(水)14時06分19秒
  驟雨の弊廬を出て、タクシー、バスを乗り継ぎ、宵の羽田空港国際線ターミナルに滑り込む。宵が真夜中の闇に溶ける頃に飛び立ち、払暁にも遠い闇のパリに来た。乗継便搭乗口に移動して腰を下ろすと、硝子張りの鳥籠みたようなターミナルの外側が珊瑚色に明け染め、徐々に淡黄が勝っていく。早朝飛び立つトゥールーズ行きの便を見送っているところである。  
 

床しい日

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月14日(月)23時34分57秒
  迎え火を焚いた夜、仏壇で一番新しい祖霊が夢枕に立ち、現況に就き色々と話をしたと聞く。これまで夢枕に立つことはあっても、口を効くことはなかっただけに、当人も驚いたという話も床しい盆の中日、時にぱらつく細雨の中を購物などの用を足して帰館したり、また出たり。  

符合と齟齬

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月13日(日)08時45分2秒
  昨十二日土曜、偶然にも羽田発伊丹行きの飛行機が故障で羽田に引き返し、緊急着陸をしたと聞く。机上の片付けをしつつ、今回は無事であったことに喜ぶ。

昨年八月十一日に亡くなった人の訃報通知が出て来た。平成十六年と刷ってある。平成二十八年西紀二〇一六年が入り乱れている。符合と齟齬の間から何かが語りかけてきている──俄に広くなった机にふとそのようなことを感じた。

今日は盆の入り。迎え火。空は曇っている。
 

事態に立ち後れるのを憂慮する

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月13日(日)08時33分14秒
  物の流れが変わる、止まる。九条があろうがなかろうが、身の回りが大きく変わる。小さな地域の動揺が地球の裏側を破滅させ、世界の脆い均衡を覆す──要路にある者たちはともかく、巷で論じる者、叫ぶ者がどれだけそれを見据えているのか。いや、見据えてきたのか。見据えてきたのなら、ここ数年の痴態、狂態はなかった筈である。要路にある者たちは物流の衝に当たる者たちに今後の見通しを尋ねたか。指示したか。これもまた心許ない。  

憂慮すべき事態に先立ち

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月12日(土)12時54分40秒
  事態が緊迫すると遅れてきた英雄たちが安い能弁を振るうだろう。事態が膠着化すると飽きてきて、暑苦しい庶民として声高に被害を叫び、甘んじて逸民に堕すだろう。それを見越して仕度をし、対応策を練っておかねばならない。

言辞が詭激にわたるのを見聞きしたら、その構えを崩す。悲壮な言動に接したら、その流れを逸らす。暖簾に腕押し、風に柳と受け流しつつ、事態が厳しい時にこそ、物腰と頭の中を柔らかく軟らかくするように、事を進めていかねばならない。

世にまだその兆しは見えないけれども、世の方々に達識の士が隠れ、働いていることを信じている。
 

心残り

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月11日(金)14時36分0秒
  美鈴珈琲と活源を忘れていた。コアップガラナは一本飲み、一本持ち帰るのだけれども、非炭酸系にぬかりがあった。空港の保安検査を受けた後では如何ともし難い。改札、搭乗が始まった。  

名残を惜しむ

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月11日(金)10時07分31秒
  今日も臥牛山が烟る中、退函用意。  

谷地頭温泉

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月 9日(水)20時31分53秒
  懐かしい温泉に帰って来た。願い続けて数年、漸くのことである。

目と鼻の先にいながら来そびれたこともある。間が悪かったといえばそれまでだが、気に入っている湯であるだけに、入るにも潮時、時機があるのではないかとすら思う。全てがこの湯をいよいよ懐かしいものにした。

酷暑の武州を離れた翌日、冷たい雨がそぼ降る函館の山懐、積翠の鮮やかな香を浸す鉄の湯煙、微かに混じる潮の匂いに身を委ね、颱風が武州に置いていった今日の灼身焼土の溽熱を思い、今日この日にこの湯に浸かる我が身の上を想う宵は冴え冴えと更けていく。
 

想到

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月 3日(木)23時33分59秒
  夏学期も跳ね、教学、教務、候所まわりの仕度も全て終え、後は明日、業者が別棟僑居に候所を移す作業を見守るだけだ、綱渡りの肩の荷がようやく降りた──そう喜んで、久振りに早目の帰館をして坐ること暫し。二つ連結した机の一方の抽斗深く秘め置きたる書類や道具を梱包していないことに思い至り、慌てて処置、対策をする学期末。体勢を立て直さねば──そう思い、また楽しみでもある一方、例年になくその余裕がない日程の暑暇に、さらなる綱渡りを見る武州の宵。木曜陰辱、時に風。如何にも。  

氷解

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 7月12日(水)11時22分56秒
  深大寺用水に咲くあの花は何だろう、ジギタリスとよく似ているけれども、ジギタリスのように満開でも茎は撓らず、シャンとしている。通りかかる度に不思議に思い、通り過ぎる度に忘れていた疑問が、ふと氷解した。アカンサスである。意匠としてはよく目にするし、口にも上す植物がこれか。身近な水辺に往昔の泰西を偲ぶ縁を見つけて喜び、驚く。  

虚々実々もまた虚仮

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 7月 9日(日)10時12分24秒
  「眠れる獅子」は百年経っても、所詮「死んだ豚」──司令官たちは事あるごとに痛感しているのではないか。それを前提に振る舞って国威を保っていかねばならないし、それが露見せぬよう振る舞って面子を維持していかねばならない。彼方の言動を観望していると、その苦慮が痛(々し)いほど伝わってくる。虚仮を繞る進退周旋──司令官たちが「死んだ豚」ならぬ「眠れる獅子」だとしても、溜息の出る事態ではなかろうか。虚仮を実体だと見る方が憂うべきであるのは勿論のこととして。  

禍福は糾える、というけれど

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 7月 2日(日)23時12分18秒
  昨今の騒動で当事者能力の喪失、もしくは欠落を露呈した組織がいくつかある。省庁にもあり、地方政界にもある。

今後、その補正を睨んだ力学が作用し始める。今日喜んだものが、明日悲嘆に暮れることにもなりかねないというのに、この理はなぜか世人の目に触れにくいようである。

今般は尋常の修正、補正とは質も量も違い、人為的に、また強力な勢いを伴うことになるだろう。余計に気懸りだ。
 

暑苦しい上にも暑苦しい

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 7月 2日(日)21時15分57秒
  ラジオで土岐麻子という人が自作のダンスミュージックなるものを流す。メロウとかなんとか、色々なダンスミュージックがどうこうと説明をして、いざ─

貼り混ぜというのか……松任谷由実と何かを足して水増ししたような、この感じ……。

バンドブームとか、「すかんち」がお気に入りだったとか……別のラジオ番組のパーソナリティにも見られる、この少し「不思議ちゃん」系とか、流れてくる音とか、ああ、現代なのかな、これが。
 

モンキアゲハ

 投稿者:愚妻  投稿日:2017年 6月28日(水)18時04分17秒
  たぶん今日家の庭に飛んでいたのはモンキアゲハ!巨大!あんな大きな蝶は生まれて初めて見ました。
記念に書き込み。

https://ja.wikipedia.org/wiki/モンキアゲハ

 

打鍵禍

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 6月28日(水)03時39分21秒
  ×平成二十三年
○平成十三年
 

靴禍

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 6月28日(水)03時37分47秒
  遐く遙かな昔──といっても、十六年前の平成二十三年──友人が華燭の典を挙げる豊国へ出かけ、式に侍り、宴に連なった折に、弟から借りて履いて出た黒い靴の底がボロボロ崩れ、べろりと取れてしまった時に次ぐ惨事と言うべきであろうか。当時僑寓していた海外僻陬から俄に帰朝して、用意も行き届かずに西下して、斯くなる仕儀である。

あの時は底抜けの靴にレジ袋を詰め、国東半島のゴツゴツした山道を少しだけ散策したのだった。眩く暑い晴天に、足許が濡れる気遣いはなかったけれども、足の裏に露わな地表の凹凸がとにかく痛かった。それに較べれば、ずぶ濡れの靴下裸足で候所に座り、靴の中には丸めた裏紙で、のんびり乾くのを待ち得た今回の禍は、格別「惨事」と形容すべき出来事でもなかったか。
 

靴を下ろす

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 6月27日(火)04時20分51秒
  先週水曜の驟雨で靴底に穴が空いていることが判明した。通常は穴が空いていても、中敷きが浸水を防ぐ役割を果たすのだろうが、生憎と中敷きもボロボロで、水は自由自在に靴の中を浸した。直ちに同じ靴を一足発注し、昨月曜に届け先のコンビニで受領した。全く同じ靴とは言え、個体差があり、また左右で足の大きさも微妙に違うから、下ろしたてだとしっくり来ない。アキレス腱に当たる革も堅くて痛い。登営、降営の僅かな道のりを歩いただけで、水ぶくれができ、潰れ、風呂に浸かるとひりひりした。

穴の空いた靴は今日か明日水曜に、修理へと出すつもり。
 

みそにこNOW!

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 6月26日(月)09時14分16秒
  やる気もねえ! おらこんな日わやんだ~ 麦さいてパヘかうだ~  

みそこNow!

 投稿者:針鼠  投稿日:2017年 6月25日(日)16時14分33秒
  はぁぁぁ、やる気でねぇぇぇ~  

見損なう

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 6月11日(日)21時40分14秒
  再調査といい、蜥蜴の尻尾斬りという。尻尾とされる部分が、その組織の首であり頭であるとすれば、どうだろう。再調査で前回調査と違うことを言う──言わされる──羽目になり、轟々たる非難に晒されるのを勿怪の幸と見ているとしたら、どうだろう。事態の推移を奇貨として事に当たっているとしたら。いや、抑も最初から狙った上での手筋だったら。──いずれにせよ、もはや火遊びでは済まなくなっている。毎度のことではあるけれども、今回は「毎度のこと」で済ますことは出来そうにない。  

ヒョエエエエ

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 6月 6日(火)07時19分44秒
  おそろしや。。。  

ヒィィィ

 投稿者:針鼠  投稿日:2017年 6月 5日(月)23時59分25秒
  明日の講義の準備が終わらない・・・慣れないテーマを選んでしまった自分が愚かだった・・・複合国家としてのロシア・・・  

惑乱の果

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月19日(水)09時40分41秒
  ×水曜
◯火曜
 

暗転ならぬ

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月19日(水)09時32分50秒
  昨十八日水曜、雨に濡れたアスファルトを踏み、砂利道を塞ぐ大きな湫隘を避け、雲の低い空の下を歩けば、用水の脇の御衣黄が既に満開である。音もなく、湿り気を帯びた風に吹かれて微かに揺れる。いつもは朝暾に煌めく用水の流れが、艶消しの鈍さ、重さに澄み、沈んでいる。不透水層の厚かましさを帯びる鉛白の雲が却って明るく見える。桜の名を冠した堤、橋を見捨ててバスに揺られ、千代田に上れば、待っていたのは台風一過を思わせる蒼穹の明澄と流れ飛ぶ淡い条雲、眩い光の齎す熱であった。暗いのか明るいのか、肌寒いのか溽いのか。春なのか夏なのか。はたまた秋か。  

至福のひととき

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月15日(土)15時58分25秒
  天気雨の公園を出て、渋滞する街道の下りを避けて上り、久々のくすの樹で喫茶。渋滞をやり過ごし、或いは公園の北を迂回する汐を待つ、至福のひととき。  

今日は

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月14日(金)20時24分28秒
  清明であったか。  

晩生の今年

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月14日(金)15時30分24秒
  新緑が芽吹けば、深緑の陰も濃かになりまさる中、燦めく用水の水面にかかる鶸萌黄[ひわもえぎ]の御衣黄が漸く咲き初めてきた。滸[ほとり]にはなお満開の染井吉野、八重桜もある。その傍で、葉桜に移ろう株あり、ほぼ花弁を落として若草色[わかくさいろ]──と形容するのも妙な話だが──の嫩葉が喬木の高みで凱風に揺れているような株も目につき始める頃合である。青天快晴、いや、既に昊天快晴と言うべきか。世の喧噪をよそに、武州在は今日も閑かだ。  

雨の色

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月11日(火)09時53分1秒
  武州在に篠突く雨が降っている。

去年の今日は御衣黄が満開を迎えていた。今年はなお勢を保つ染井吉野が小学校の正門脇に並び、本通とは名ばかりの、新田開発の昔を伝える小路を覆い、水嵩を増した用水の流れに懸かり、幼稚園前の木立を賑わしている。御衣黄の蕾は固い。

白に若紫の芝桜、数年来、俄に伸してきたムスカリの瑠璃紺、紫を冠する割にはに程遠く、青味が勝っているけれども、菫色でもない紫花菜、様々な色目に条入りまである鬱金香が、時ならぬ冷たい雨に打たれている。昏い天地が愈々昏む。漸く夏らしい色合で足元を照らし始めた罌粟の紅緋が、往路にはその黄味を喪い、殆ど葡萄色[えびいろ]に見えたのもこの雨か。

用務を済ませた復路に、また罌粟の群落を過ぎる。見慣れた紅緋の花弁が雨露に濡れて、溟く耀くばかりであった。
 

雨後の幸せ

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月 8日(土)17時41分39秒
  濛雨の朝、代車のハンドルを握って郊外線の発着駅まで往復。昨日の昼下がりに観た公園の桜、夕方から宵にかけて目に収めた国立[くにたち]駅南口の桜も散り始めただろうか。そんなことを想いながら、車を走らせる帰路、街道から街道へと伝って、弊廬周りの小路の入り口で購物。

雨は熄み、駐車場の路面は乾き始めているけれども、なお冷ややかな感じを残す。鼻を衝く香。肺腑の奥まで空気を入れ換える深呼吸。鼻腔からは山中の小径の香。梅雨時の湿り気とはひと味違う、爽やかな香気と言うべきか。山に遠ざかって久しい身の上を思い、懐かしい杣道に想いを誘われる一瞬である。

弊廬の仕事場で久し振りに紙の書物を広げる。トゥーキューディデースであり、使い古した文法書である。雨後の香の幸せが、たまさかの贅沢に赴く切っ掛けとなったのであろうか。
 

追記

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月 4日(火)10時08分29秒
  なお、大学(院)がエリート養成機関であり、大学(院)で学問を修めた者がエリートであることは、必ずしも「えらい」ということと同義ではない。

知的なエリートは別の分野のエリートだとは限らないし、知的なエリートたるべき者が、(知的)エリートであることを陰に陽に匂わせる言動をみせるほどには、実を伴った知的なエリートである保証もない。

知的なエリートが社会でリーダシップを執(らされ)ることがよくあるからといって、社会でリーダシップを執るのは知的なエリートでなくてはならないということもない。抑も、知的なエリートが社会でリーダシップを執らないことも多く、執れないことも多く、執ってしくじることもまた多いのは、人も知る如くである。
 

レンタル掲示板
/82