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問題の所在

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 4月 3日(月)01時14分34秒
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  大学院重点化はポストを増設する(ための)ものではなかった。学位取得者を増やしたこと、学位取得者の増えたことが、ポストを増設する根拠にはならぬことも、よく考えれば──いや、考えるまでもなく──判ることである。

寧ろ、ポストを増やす余裕もないのに、学位取得者の増加を将来する大学院重点化を構想し、実施したことに問題があった。そんなことは重点化前に判りきっていた。それを今になって騒ぐのは如何なものか。あの時に騒ぐ者がほとんどいなかったのもどうかと思う。

「エリート主義」「象牙の塔」といったレッテルが貼られることを懾れていたのだろうか。しかし大学がエリート養成機関であり、大学院もまたエリート養成機関であることは否みようもない事実である。大衆化を「開放」(「解放」)と言い換えてみても始まらないし、枉げて題目を実体化し、実際に大衆化をしようものなら、大学が大学の体をなさなくなる。それが道理である。御覧の通りである。

輿論は何を求め、当事者は何を言い募るのか。その裏と表を検めてこそ、大学の再生の芽が見つかる(可能性がある)。エリート(たるべき者)がエリートであることを否み、大衆の一員を装う(本能的、かつ伝統的)欺瞞が斯様な事態の拗れを齎す。人文学に携わる者が己の専攻を尊び、以て人文学の意義と効能を称えるほどに、人文学の無用が浮き彫りになり、人文学の本分が毀損される構造的な矛盾と通じる所がある。その自覚が解決の緒となる筈なのだが、この点に着目する者が少ない。少なくとも、着目していることを伺わせる者は稀である。
 
 
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