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その結果

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 8日(月)14時11分52秒
  付言すれば、日本国憲法とは何であり、憲法とは何であるかという問題が浮上する。公とは何か、権力とは何か、制度とは何かと言い換えてもよい。

憲法学者の手に余る問題となることは、誰の目にも明かであろう。従来──ここ数十年と言おうか──の道具で片のつく話ではなくなる。一人一人が様々な角度から考え、述べ、修正し、という過程が今後、長く潜行するようになる。

それを掬い上げ、集約し、調/整える回路もないのは気懸りだ。短絡し、歪曲し、誇張し、無視する媒体と環境だけが整っているのは恐ろしい限りだ。論じる人の視野、視力に問題があるのは今に始まったことではない。しかし、今回の一件で好ましからざる拗らせ方をする懼れは否めない。

人文学、社会(科)学がおかしな土俵に(勝手に)上って、慣れない相撲に痛めつけられながら「この土俵に立って闘う意義は」などととんちかんな議論を立てようとしている今、この難局は吉と出るか、凶と出るか、予断を許さない──いや、凶と出る予断を許したくない気がする。
 
 

これまで八日は何もない日であった

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 8日(月)13時55分8秒
  暑熱が報じられる中、今日の武州も湿度の低い晴天である。登営の道中は仕事に使う和書の閲読、登営しては翻訳の続き。帰館したら校正を終わらせたい。

十五時の勅は営中で拝することになる。公を追求し、体現する今上の勅の内容がいかなるものであろうと、今更驚く国民もあるまいし、今更国民を驚かしむる内容になるとも思われない。

もし、驚く者がいたり、驚きの内容だと感じる者がいたりすれば、当人はよくよく思案した方がよいし、そういう人物について、周囲の者もよくよく思案した方がいい。

翻って、当今、今上の勅をよく吟味することが必要なのかも知れない。公とは何であり、私とは何であり、社会とは何であるか。賛否の問題ではない。空気の問題でもない。もちろん、空気についての賛否の問題では全くない。
 

サンデイ盆ドライバ

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 8日(月)01時54分32秒
  昨八日は昊天晴、湿度は低めで、風もあり、気温の割には過ごしやすい日曜であった。好機を捕らえて草むしり。

夕刻の混雑が引いた頃合いを見計らって、行きつけのスーパーマーケットへ。道中の街道が込んでいたから、夕飯直前まで出発を遅らせた意味はあまりなかったような気もする。

「なんかね、果物を、買ってこと思っている」

スマホに向かって老婆が語りかける。その傍ら、カットフルーツの入ったプラのコップとも、ケースとも付かぬような容器をひとつひとつ取り上げては、そこの面をしたから見上げるように覗き込んでいる。

結局、全ての容器を検めた。棚にもどす時にいい加減な置き方をしたものは、段差に凭れて眠りこけている。後には汚らしくなった棚、平台が残るばかりでである。
 

暑い夏でも

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 6日(土)16時06分31秒
  昊天に風が吹く。積乱雲の賜か、弊廬のまわりも、千代田のあたりも、この風が涼しい。いや、熱いのだが、暑いのを和らげてくれる。日陰に入れば「涼しい」とは言わぬまでも、凌ぎ易く、ともすれば熱が肌に心地よい。すっかり空調に飼い慣らされた中年の戯れ言かと自嘲しつつ、少年の遠い日に踏んだ西域の夏、緑州の水辺、並木の日陰を思い出す広島忌。

仕事場のそばのセブンイレブンには二匹目の泥鰌を狙った「八月六日夏の節分 恵方巻」。唯でさえ暑苦しい「丸かぶり」と、売らんかなの下心、伝統捏造で鼻高々の訳知り顔が、この昊天に鎌首をもたげようとしている事実に苦夏を煩いかねぬわと警戒しながら、学士会館の脇を通り抜けた。
 

ピカチュウ現象

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 7月23日(土)12時44分32秒
  「ポキモン・ゲウ」が流行しているという。日本にも昨日上陸したらしく、つい先ほど、早速若い男二人連れが一ツ橋河岸でスマフォ片手にウロウロしているのを見かけた。

引きこもっていた人々が外に出た、その治癒効果に期待すべきものがある、とは、他国から聞こえてきた声である。本朝でも麻生宰相が同様の感想を口にした。期待できるものには何でも期待したい。

だが、現実空間と仮想空間の融合は、必ずや病を生む。早晩問題になるはずだ。

人間とは生きる限り病むものである。動物だから当然である。加之、人間である以上、いつ心を病んでもおかしくない。悟性と呼ばれ、理性と称される認識能力があるかぎり、いかなることも種となり、いかなることをも糧として、心の病が昂じてくるものである。

今から備えておくべきであろう。
 

逆しまの理

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 7月22日(金)10時00分47秒
  たとえば「水圧」の説明だ。「水圧って知ってる? 知らない? 水圧はね、深いところに行くと強くなる。水圧がとっても強いの」。

宇宙は広いが、その涯はどこにあるのかという問に対して、巨大な入れ子構造を示す宇宙の単位を列挙して、涯がないと答えるの如何なものか。自分や地球という小さな単位、もしくは「一」があることと、「涯がない」ことの間の「矛盾」を知りたいという質問に対して、「更なる巨大な単位がある」「から」「涯がない」という非論理的な回答は、ピント外れでもある。

頑なに譬喩を拒み、無駄に厳格な説明で初学者を困らせる理系人がいる。譬喩や類比で話をしてはいけないところで譬喩や類比を持ち出し、論理的な話をしたような顔をしている文系人がいる。逆だ。
 

雨がそぼ降るラジオの朝に

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 7月22日(金)09時36分45秒
  「夏休み子ども科学電話相談」の季節が巡ってきた。聴取して、回答者本人と、その人が連なる言説空間を観察すると、文理の優劣といった議論の問題点が如実に見て取れるだろう。有り体に言えば、理系の人は得てして説明が下手だということである(勿論、素晴らしい例外も出演することがある)。  

器物損壊

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月20日(月)19時17分15秒
  タギングをはじめとする落書きをストリート・アートと呼ぶことに違和感を覚えていた。その所以をようやく突き止めた。

匿名性に淫しているからである。

それを芸術である、自己表現であると唱えるならば、作者の氏名、住所、電話番号を添え書きするがいい。あるいは、自宅の壁に人目も憚るような色彩とモチーフで描くがいい。それが出来れば本物である。

匿名性の思想を云々する向きもあるだろう。慥に面白い。だが、その志操には首を傾げる他はない。その間のズレを均すことができるとすれば、本物の思想と言えるであろう。
 

旻天のような摂州の朝

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月 4日(土)07時17分59秒
  高速移動は時間が節約できるけれども、やはり身体に負担がかかる。昨日、改めて痛感。今朝の天満橋には羊雲が飛んでいる。これから仕度の上、待兼山へ移動して所用。  

下阪の日に

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月 3日(金)17時25分49秒
  武州快晴、ただし、昊天の暑威が隠れている。摂州も快晴。やはり溽熱。

三番町に務めていたものが、いつしか一ツ橋に蜷局を巻くようになって、千代田城との因縁を感じることもないではなかったが、こうして下阪して天満橋に来てみると、そこにはやはり徳川氏の築いた大阪城である。番方にでもなった気分である。とはいえ、東海道を歩いて下るのとは訳が違い、いまでは新幹線であっという間だ。

新大阪から御堂筋線に乗り換えるのも、その経路も懐かしく、淀屋橋駅に蛍光灯シャンデリヤが耀いているも懐かしく、大人になって親しんだ京阪線の緑の車輛が待っていてくれたのも懐かしく、行き先が出町柳になっているのには驚いた。
 

裏側に潜む

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月 2日(木)12時42分34秒
  明るく、乾いた武州の快晴に光風が微かに動く。久し振りに富嶽を見る。稜線に雲が涌いている。ソウダフロウトのように青と白が解け混じっている。用水の滸、古い住宅地の深い深い心臓部には、愈々紫陽花が賑やかだ。西域を思う陽気、古を偲ぶ陽気、喪ったものが実は手許にあることを悟る陽気に、これより登営。会合に侍立である。  

関係者の無事を祈る

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月31日(火)10時54分7秒
  「人はなぜ目を醒まさないのか」「民衆の覚醒を信じて戦いましょう」といった言葉が飛び交って運動は先鋭化し、崩壊する。民主主義を理解していないことが如実に滲むもの言いである。関係者の無事を祈る。  

あわい

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月24日(火)23時17分9秒
  緊弛硬軟あって緩急がある。かくて物事はめぐり、立ちゆく。その理が汚穢を生むのも事実なら、その理が踏みにじられて汚穢を生むのも事実である。ここにも匙加減が潜んでいる。

夕霞堂左手窓外からは、闇の涼風。昼間の溽暑が嘘のようである。
 

矛盾するようだが

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月17日(火)17時59分18秒
  運動は成就しない。成就するのは運動の終わって久しい、次の世代である。それも、僅かに。見越して運動するものは、運動と呼ぶべき運動はせずに、別の動きを見せるものである。  

民主主義

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月15日(日)11時36分0秒
  自分の言っていることは正しい、だから聴け、と言っても聞いてもらえないのが世の中であり、聞かないのが人間だ。それでも聴けとがなりたてると、ますます聞いて貰えなくなるのがデモ。それで不満を溜め込んで先鋭化して分解したり、潰し合うのが内ゲバ。激情家と快感が交錯する場が作り出され、それで己の崩壊を早めるのが運動。

内容の正否と並んで、内容の導き方と提示の仕方が大切にされるのが民主主義空間であり、民主主義を可能とし、民主主義が回るための原理である。それを踏まえて行うのが正しい教育。正しい説を教えるのが教育だと思っている者は、あらゆる意味で正しい説を伝えることが出来ない。これが教育の貧困と社会の低迷を招く。

持説を開陳し続ける胆力と、それ(だけ)では実現出来ないことを弁えている知性、その両端を兼ね備えて、自らと他人とを律し、動かして行く嗅覚を持つのが政治家。その際に次代、その次に帳尻が合うように持って行くのが大政治家であり、その出現を可能にするのは、長い目でものを見る力を培った国民であり、民度である。

そうした諸々を全部台無しにするのも民主主義。癌細胞を連想すると判りやすいか。

だから人文学はやめられない。
 

要約

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月13日(金)11時22分27秒
  「できるもの」と「つくるもの」とは違うというだけのことであるが。  

とまどう

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月13日(金)10時22分53秒
  associationを自由意志に基づく人的結合と見なし、その構築を以て従来の社会構造を揺るがすことが出来るという考え方がある。実際にそのように分析し得る事象もあるだろう。しかし、構造を揺るがすためにこの人的結合を作り出し、営むという発想は間違っている。言うまでもなく、分析概念の何たるかを等閑に付した「変換」は論理学的に間違いであり、然様小難しいことを持ち出すまでもなく、associationを作り、営もうとする限り、associationは破綻するものだからである。もっとも、その破綻が従来の社会構造に変更が齎す可能性については否定できない。それが往々にして人間関係の破綻に帰結するに過ぎないとしても、慥に淪猗は立つ。  

ときめく

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月 3日(火)13時43分26秒
  ぷち。さん、よう御越し。お久し振りのお渡りで少し御名前も変わりましたか。大作のご投稿を有難うございます。一月ほど掲示板の更新を止めて、筆頭記事としておりました。

ワクワクしますね。

不佞、坂道が好き。尾根筋、谷筋、その往来が溜まらない(ハケの傍に住地を卜し、なだらかな丘を登っりきった台地の上に住まいしているのも、その関係なのかも……)。古い町並みが好き。うらぶれた風情が好き。そして何のかのといって、本郷界隈や白山一帯は思い出の詰まった土地柄でもあり。

そして地図が好きと来ているでしょう。もちろんグーグルの地図も見ました。御紹介の国土地理院着彩図、それに古地図も(古地図自体まではなかなか手が回りませんけれども、いつの間にか古くなってしまった国土地理院地形図などを溜め込んで、時々忘れた頃に引っ張り出して眺めるのは愉楽の一語に尽きます)。

御紹介の一帯に足を踏み入れたことはないような気がするのですが、平成二十七年三月十二日木曜快晴、新大塚駅付近の印刷所に原稿を持参した折、大通りに面したマルエツ本店あたりの裏手に路地を辿り、先がどうなっているか見に行ったら、みごとな段丘面になっており、狭い階段が下へと伸びて、下りれば車なぞ通り抜けようもない路地に、木造二階建てのアパートが犇めいている。驚きました。よろこびました。急いで駒場に移動せねばならなかったので、探索も出来ずじまいでしたところを、この度の御投稿で。

今は亡き紀州橋本の櫺子窓が連なる川原町、綺麗に石で甃んだ太神社と一里塚の瀟洒な佇まいを瞼に思い描きながら拝見したのも、深い悦びに浸った一因かと思います。

折を見て御紹介下さった一帯を再訪し、自分の脚で歩いてみようと思います。
 

白山三業地(Pt.3)

 投稿者:ぷち。  投稿日:2016年 4月 6日(水)02時56分11秒
  旧料亭「濱乃家」の建物はだんだん朽ちてきていますし、
旧待合茶屋「田川」は「花みち」という名で貸スペースになっていますが、
使われているのを見たことがありません。
旧料亭「竹の家」は個人宅になっているのでいまのところ外観の手入れは行き届いていますが、
湿気とかで維持は大変そうです。
まあ時とともになくなっていくのでしょうね。


あれ?ところでこのHPには写真投稿できないのかな?
 

白山三業地(Pt.2)

 投稿者:ぷち。  投稿日:2016年 4月 6日(水)02時50分8秒
  で、ようやく本題です。
元に戻って本郷台地から白山の谷へ落ち込むその福山坂を下りると、
白山通りの手前にある商店街(?)に下ります。
先ほどの国土地理院の地図の東端、縦書ゴシックの「文京区」の文字の東側、
白山通りに平行して縦書で「白山一丁目」という文字がありますが、その左側に黒い丸があります。
その黒丸のあるところに白山通りと平行して南北に細い道が走っているのがおわかりでしょうか。
実はここ、両側に実に見事なほど寂れた(元?)商店街があるのです。

ランニングの時に、ここにすごい違和感を感じました。
だって白山通りを挟んだ反対側には小石川の大きな商店街があるんですよ。
どうしてそのすぐそばにまた商店街らしきものがあるのかと。
そしてこの小道、意外に広くて立派なんです。
車は余裕で行き違いできますし、舗装も立派。
でもいま残っているお店は酒屋さんが2軒と銭湯1軒
(この銭湯だけは毎晩なかなか繁盛しています)と書道教室くらい。

どう見てもぁゃιぃ。

そこで同僚の日本史の専門家に聞いてみました。
すると即答で「ああ、あそこさんぎょうちだったから」。ん?

「さんぎょうち」と聞いて、私のno細胞は「産業地」と漢字変換したわけですが、
そうではなく「三業地」。
「三業」とは料亭と待合茶屋と置屋のことなので、「三業地」とは花街のことだったのですね。
実は私の父方の親戚は日本橋芳町で三味線を教えていて、小さい頃は芸者さんがお稽古に来てました。
小さい頃であんまりよく憶えていないし、
私はあんまりそこの家が好きではなかった(下町も大嫌い)から
寄りつくことも少なかったんですけどね。

この白山一丁目の一角は、国土地理院の地図を御覧になってもおわかりのように、
本郷台地が白山通りの谷に落ち込むところで、垂直な崖で上に直接のぼることはできません。
ここは西の広い白山通りと東の崖とに挟まれて、周囲の土地から隔てられているわけです。

昔の地図を見ると(http://dl.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/det.html?data_id=85)、
この謎の道こそが本郷台地の本郷区と崖下の小石川区の境界です(本郷区+小石川区≒文京区)。
この一角の旧町名は指ヶ谷(さしがや)町。小石川区が白山通り東側に出っ張ったところにあたります。
現在も文京区立指ヶ谷(さすがや)小学校にその名を留めますが、
指ヶ谷小学校があるのは白山通りの西側、旧町名では小石川町になります。
この旧指ヶ谷町は1912(明治45)年に三業地として指定され、戦後まで栄えました。
その名残がこの一角に残っているわけです。
 

白山三業地(Pt.1)

 投稿者:ぷち。  投稿日:2016年 4月 6日(水)02時45分23秒
  昨年秋から拙宅@本郷~茗荷谷駅を毎晩往復するようにしています。
ルートはほぼ東から西へ、本郷通り、白山通り、千川通り、春日通りの4本の通りを横切る形になります。
距離は片道2.4km、所要時間は歩くとちょうど1時間、軽く走ると45分くらいです。

このコース、地図上で見るとわかりにくいのですが、実に起伏に富んだコースです。
国土地理院のHPにこの文京区のデコボコについて詳述しているページがあります。http://www.gsi.go.jp/common/000061697.pdf
別図に判例がありますが、黄色が海抜20mくらい、緑色が海抜10mくらいです。
国土地理院の図の右端にある縦書ゴシックの「文京区」の文字があるところが「本郷台地」、
その「区」の字の右下の「東京メトロ南北線」の字に沿っている道路が言問通りです。
図の右下にあるの東京ドームからほぼ真北に走っている白山通りと
西北方に向かう千川通りは谷筋だというのがよくわかります。
それに対して東京ドームのすぐ北からいきなり台地の尾根筋を上がる春日通りは、
確かに中央大学のところで急に標高が上がっていきますよね。
千川通りの東側の台地を本郷台地、千川通りの西側の台地を豊島台地と学術的には呼ぶのだそうです。
神田川河谷から春日通り西側に平行して
「東京メトロ丸ノ内線」とあるところが谷になっていますが、これがいわゆる茗荷谷です。
茗荷谷駅のところでは丸ノ内線は地上に出て両側が崖になっていますが、
あの谷がまさに茗荷谷なわけですね。

私のランニングコースの話に戻りましょう。
本郷台地の一番高いところは図の東端の本郷通りのところで、海抜20mくらいです。
そこから春日通りに出ると10mほど、つまり建物3階分くらい下がります。
言問通りは徐々に下りていくのでそれほど斜度はありませんが、
私のランニングコースは言問通りを下りるのではなく、ショートカットして新坂(福山坂)という坂を下ります。
これは白山通りギリギリのところまで本郷台地が続いているところから一気に白山通りに落ち込みますので、
あの近辺では別の新坂(フォーレストの先から言問通りに一気に落ちる坂)と並ぶ急坂です。
私はこの坂は上りも下りも歩きます。走れません。
白山通りから千川通りまではさらに微妙に下がり、
そこからは播磨坂という桜で有名な坂を上がって春日通りに出るのですが、
登り切ったところの海抜は22mくらいだそうです。本郷台地よりも高いのですね。
 

為人を表す

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 4月 4日(月)00時58分8秒
  廉価な輸入車に乗っている人々に通有の傾向。車を当てないようには注意するけれども、人を轢かないように注意しているかと言えば、かなりお寒い。交通法規を少し知っているが、その意義を知らないという点では、困ったドライバと同類である。  

この国の、この時代の、いや業界の宿痾というか

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 3月20日(日)14時01分14秒
  時節柄よく見聞きする「主役は卒業生」。「主役」がよくない。譬喩が一人歩きをして、譬喩ではなくなっている。芝居の「主役」に転んでいる。卒業生は主たる当事者である。国家の定めた称号を受けたり、資格を認定される儀式は、思い出作りのためのものではない。思い出に残るものだからといって、それが目的だというならば、その資格、その称号を返上した方がいい。  

間歇的に顔を出すだけでも

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 3月20日(日)03時40分16秒
  小人数の会読は、途中で遠方の一名が高速バスの時間の都合で早退し、二十時半まで実に六時間半に及んだ。例会の中では屈指の長さとなった。註釈書の混乱で要らざる手間もかかりはしたが、やはり気心の知れた仲間との精読と考覈は何物にも代え難い悦びである。  

幽霊会員

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 3月19日(土)11時02分32秒
  夜来の雨を冒して今日も登営する。僅かに都合の付く仲間と、珍しく都合の付いた不佞とで、読弁論会を小さく開くのだ。  

一別二十五年

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 3月19日(土)11時01分14秒
  旧友と再会した昨夜。退勤途上の歩程に不佞の候所がかかっているというから、候所大廈の前で手筈通り連絡を貰い、退営して馴染みの麦酒屋まで歩くこと一分。二十五年会おうと言いながら会えずにいたのに、一度ことが動くと、実に呆気ない。四半世紀の重みと歩みに隔てられ、またその御蔭でこうして身近に奉職してもいる不思議。来し方を見据えて行く末を思う年頃に、青春の日の光が再び射したことも相俟って、互いに意を強くした宵となった。  

倫敦! ──倫敦?

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 3月18日(金)12時44分9秒
  いつぞや人と話している時に「ロンドンでさえまだまだ○○」というもの言いを聞いて驚いた。東京の如き牢固たる旧習の巣窟ならばともかく、と言う含みである。ロンドンを多少とも知る、非英国贔屓の身で言うべき事は言ったけれども、どうしてこのような価値観があり得るのであろう。ビートルズ以降の動静の故にであろうか。だとしたら、ビートルズ(を取り巻く諸々)が奏でる帝国主義の変奏曲に耳を澄ませてみたらどうだろう。  

春雨か

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 3月 7日(月)08時56分50秒
  非常呼集で登営の月曜は雨。生暖かいのはやはり春。  

移動の日々

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 2月26日(金)08時19分56秒
  昨二十五日木曜雪後微陰上駒。第二キャンパスで用を足し、第一キャンパスに移動したら、入試。予定を変えて登営、候所で査読の続き。再び駒場に戻り帰館。終日寒く、昧爽布団に入って震える為体。

二十六日金曜青天快晴。登営銓衡。その前に候所で少し仕度を。
 

玉那覇黒

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 2月22日(月)10時13分55秒
  マルタマのタンナファクルーなるものを食すに、卵ボーロのような舌触りと、予想を裏切る黒糖の香に喜ぶ。那覇のリュウボウ勘定台まえの平台に置かれていたものだという。「庶民の健康食」という口上書きに嘘いつわりはなさそうだ。  

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