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更地は嫌い

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 9月30日(金)16時43分23秒
  追分の脇に大きな更地。屋敷林に守られた農家は消えた。見通しがよくなって、寒々しい。

北の植木畑にも重機が入っている。大きな街道の交差点に近い一角の植木が根こぎにされて積み上げてある。水色の金網も倒してある。生産緑地の標柱は色が褪せただけなのか、文字を消したのか、とにかく無残な鉛白が眼に沁みる。

中途半端な農地──というより、半ば抛棄された農地が更地になるのを見ると、心が騒ぐ。事情は分かるが、色々と思うところもある。こちらがそういうことの身に沁みる歳になったからだと言って済ませることは出来ない。
 
 

訂正

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 9月25日(日)00時54分52秒
  ×検査とは有難いものである
○検とは有難いものである
 

月餅

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 9月24日(土)20時23分50秒
  同僚に月餅を戴く。毎年戴く。今年は長春金安大飯店の台湾抹茶月餅である。口に含むと、鼻腔に華やかな香が開く。

四ッ谷駅前で働いていたあの頃、時々月餅を買った。専門店があった。泰祥製菓という。後にも先にも、自分の生活圏で月餅を専門に作って商う店はここだけである。

戴いた月餅を頬張りながら、泰祥製菓を思い出す。名前は忘れていた。検索の世話になる。四ッ谷、月餅。簡単に見つかる。泰祥製菓といったか。そうだった。やはり月餅専門店は珍しいか。

廃業していた。

あの懐かしい月餅を味わうことはもうないのか。先の見えない、貧しいあの頃、愚妻と分けて食した、あの月餅を。

秋の雨の宵にしんみりしていると──検査とは有難いものである。まだ「その次」があった。zuco 明日のおやつが実家の泰祥製菓の味と製法を継承して、月餅の販売をしているという。しかも、文京区に拠点を置いているという。

なお己に縁故の深い土地に月餅を求め得る不思議に、身の幸せを思う秋雨の夜である。
 

驟雨が来た

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 9月24日(土)13時15分18秒
  俄に驟雨が来て、頻りと雷が落ちている。雨粒が天地を罩て、軒端は烟り、夕霞堂の窓外の露台は鏡のように照っている。武州在、古の新田の秋である。  

政治を見る

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 9月15日(木)15時19分52秒
  操觚界頼みのお茶の間評論家や悲憤慷慨の知識人が世を掩っている。民進党はメディアが持ち上げるほど立派な党派ではない(常識があれば、すぐ判ることである)。むしろ、その反対に近い。とはいえ、国会中継を見ていると、「その反対に近い」から「酷い」と飛躍するのが短絡であることも判る。それほど酷くはない(一筆箋で折々指摘した通りである)。同じことは自民党にも当てはまる。否、ほとんどの党派に当てはまる。したり顔で「角度をつける」報道(歪曲)を鵜呑みにして事を論じる前に、手間と暇を惜しまず、まず国会中継を視聴し、党派の出す情報を検め、個々の人間の動静を眺めるところから始めるべきである。  

渋面の愛嬌

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 9月15日(木)14時04分36秒
  「パンドラの匣を開けてしまった」という譬喩は、事態の深刻化を見越し(て、一層の悪化を期待する気持ちも罩)て使われることが多い。眉根を寄せて書き付ける人は、良心の疼きを覚えて書き、書いて良心の乾きの癒されるのを感じるのではないか。「いい人」の愛用句と言ってよい。

ただ、本当によいのだろうか。

パンドーレー(パンドーラー)とは禍である。少なくとも、曲[まが]として作られ、贈られたものである。「いい人」はジェンダバイアスを事とするのだろうか。彼らが(今)最も忌むところではないのか。

七難八苦を撒き散らした匣の中にはエルピスが残ったという。「希望」なのか「見込み」なのか。とまれ、この譬喩を愛用する人々が警鐘を鳴らそうとして、却ってその不要を匂わせることになるのも、「いい人」の人の良さと言うべきか。
 

村田蓮舫議員騒動

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 9月12日(月)13時46分44秒
  道義的責任とやらを口にし、振りかざしたことのない者だけが、村田蓮舫議員を擁護することが出来る。しかし、擁護しようとする者は、恐らく道義的責任を愛用しているように見受けられる。

なお、この問題は、一村田議員の政治生命に関わるというよりも、現代日本の隅々にまで染み入っている各種言説と、それが作り上げている言説空間の姿と矛盾が露呈しているところに意味がある。そうした言説と言説空間が作り上げる現代日本の問題が噴出していることに意味がある。そしてその全てを矮小な褻語で糊塗しようとすることと、そのおかしさに思い至らぬことに問題がある。
 

続報に俟つ(までもない)

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月21日(日)23時40分3秒
  ガッツポーズで腹を切った話を聞かない。かといって、金メダルをとって「喝」を見返したというような、操觚界好みの見出しも見ない。要するに負けたのだろう。どうするのだろうか。  

不健全

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月16日(火)23時19分10秒
  五輪も甲子園も見ずに消光している。テレビ受像器が映らないからでもあるし、ラジオも聞かない、新聞も取っていないし、ネットのニュースで見出しを見ても記事を読まないという塩梅で、まあ見ない。

しかし、目についた記事がある。勝利のガッツポーズをした、それにケチをつけた、それに反論した──実に他愛のないことだけれども、その反論がとても気になる。「命を賭けているので」。

譬喩だろう。しかし、譬喩だと、反論の根拠としてはとても弱い。とても頑張っているんだから、勝った時ぐらい、ガッツポーズを許してよ──これでは反論にもなっていないと言うべきである。

負けたら腹を切る、首を刎ねられる、そういう中で、また一勝積み重ねて、生き長らえた喜びの表現として、ガッツポーズには特別の意味があるのだ──これならば問題はない。早晩、発言者は負ける。どうするのだろう。

譬喩であれば意味がない。しかし、譬喩でなければ、己の首を絞めることになるばかりか、競技に続く者に、そういう生き方と死に様を強いることになる。いや、既にその手の無意味な精神主義は競技の世界に充満しているといえようか。その辺りの問題や機微に鈍感であることも「スポーツマン」や「アスリート」の特徴と言えるかも知れない。だとすれば、本朝の該方面が抱える闇と問題を凝縮した遣り取りであり、発言であると評さざるを得ない。
 

隠微な追及

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月11日(木)16時41分4秒
  外務省が機敏に動いている。尖閣海域の中国漁船転覆事故で救難捜索活動をし、北京に感謝された由。それを逐一発表している。国語と英語である。事故を起こしたのがギリシア船籍の船であり、そこからの通報で海保が動いていることも最大限に活かしている。

言うまでもなく、施政権の所在を明らかにし、国際的な判断を蹂躙する中共政府の無道を満天下に訴え、先方が勝手に振り上げた拳を絶対に下ろさせない、しかも放っておいても面子は潰れるという局面に追い込んでいる。

行立は事故を奇貨としている。しかし、飽くまでもそれは切っ掛けだ。日米が俄に連携と聯動を強めていた矢先なればこそと読むべきである。合衆国国務省は「事態を監視する」「尖閣は日本の施政権下にあり、安保対象に含まれる」と間髪を置かず発表し、あるいは繰り返している。合衆国政府のもの言いが本朝政府に行き届いた配慮の上に出るものであることにも注意するべきである(北方の動きに対する布石でもある)。

今の日本は有利な局面にいるけれども、周りに地雷原が犇めいているのがその一因であることを忘れてはならない。危うい局面にいるつもりで周旋し、事に当たるのが得策である。そして世間がそのようなことを真正面から取り上げて議論するようなことのないように事を運ぶ筈だ。
 

照るも陰るも降るも晴れるも

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月11日(木)11時45分39秒
  昨水曜、街道を少し西に下ったコメダ珈琲で読書。コメダ自体、初めて。アイス珈琲を「たっぷり」に願ったら、慥に巨大なコップになみなみと。

空模様が怪しい。買い物を済ませ、上水沿いの草刈り作業も終わっているのに、なぜかまだ混雑している街道を急ぐ。ベランダの洗濯物を取り込んだところへ、大雨の予報。そして時期に凄まじい驟雨と、大雨洪水警報。夜分の歩行は見合わせた。

明けて十一日木曜、その雨の御蔭で随分と涼しい曇り空。可燃物ゴミを出し、身支度を済ませたところで「今だ」と庭仕事の続きを少々。ビニール袋いっぱいに枝だの草だのが溜まったところで、雲居の彼方より日輪が輝き出でる。汗ばみ、切り上げて茅屋に入る。
 

尖閣舞蠅

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月10日(水)10時37分42秒
  「中国」を字義通り読むにしても、「中華(人)民(共和)国」の略称と取るにしても、「固有の領土」とは無縁の存在で(なければならないので)はないのか。それを指摘する向きがないのは遺憾である。  

夏の闇に想い出す

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 9日(火)01時20分11秒
  夜陰に紛れて二里の道を踏む。上水を今は西に下る。蜩も聞こえた。狭山丘陵では優に半月以上前に啼き始めていたものを、上水の滸では今宵聞き初める。

所々で街灯が地面に小さな輪を落とす。さして多くはない。簡易ヘッドランプを手放せない。一番眩いのは踏切である。幅員は極端に狭く、線路まで急勾配で上り、下る。踏切灯に照らされたその瘤は、遠くの闇の中からでもぼんやりと見える。

ふと、白粉花の香りが鼻を擽る。闇の中から踏切を跨ぎ、隣の駐輪場の眩しい灯りからまた闇の中に沈み込む直前に、色の脱けきった白粉花と葉が目につく。油蝉が落ちてくる。仰向けに地面へと叩き付けられ、ギギギ、ジジと鳴る。鳴くのではない。鳴る。

朝、可燃物ゴミを出しに行く時、隣家のガランとした駐車場に、今夏初めての骸を見た。まだ死んだばかりらしく、完全な姿で腹を上に向けている。時々甦ってはじたばたして、また死んで、という最中であったかもしれない。つい先日、きれいな蝉の脱け殻を見つけて喜んだばかりだというのに。

毎年、夏もこの頃になると、生を思い、死を想い、生死を惟うようになった。命の耀く夏だと想っていた少年時代が遠くなったのであろうか。すぐに盆だ。
 

勅を承る

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時46分22秒
  勅はどこまでも公に貫かれていた。これを聴いた「声」は私が発し、勅にはない「私」に向けられていた。国内外のメディアはこの辺りをきちんと弁別していなようである。「これまで八日は何もない日であった」で指摘した公は、早速(竊かに)喫緊の問題となった。

政界の面々には流石に公の詞が通じたらしい。反応も公に沿おうとしたものが目立つ。幸い、今回は事が事なので、報じる側にもいつもの「味付け」を控える動きがあるらしい。国会で見る彼らの姿に近い言葉が世上に聞こえている。
 

その結果

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 8日(月)14時11分52秒
  付言すれば、日本国憲法とは何であり、憲法とは何であるかという問題が浮上する。公とは何か、権力とは何か、制度とは何かと言い換えてもよい。

憲法学者の手に余る問題となることは、誰の目にも明かであろう。従来──ここ数十年と言おうか──の道具で片のつく話ではなくなる。一人一人が様々な角度から考え、述べ、修正し、という過程が今後、長く潜行するようになる。

それを掬い上げ、集約し、調/整える回路もないのは気懸りだ。短絡し、歪曲し、誇張し、無視する媒体と環境だけが整っているのは恐ろしい限りだ。論じる人の視野、視力に問題があるのは今に始まったことではない。しかし、今回の一件で好ましからざる拗らせ方をする懼れは否めない。

人文学、社会(科)学がおかしな土俵に(勝手に)上って、慣れない相撲に痛めつけられながら「この土俵に立って闘う意義は」などととんちかんな議論を立てようとしている今、この難局は吉と出るか、凶と出るか、予断を許さない──いや、凶と出る予断を許したくない気がする。
 

これまで八日は何もない日であった

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 8日(月)13時55分8秒
  暑熱が報じられる中、今日の武州も湿度の低い晴天である。登営の道中は仕事に使う和書の閲読、登営しては翻訳の続き。帰館したら校正を終わらせたい。

十五時の勅は営中で拝することになる。公を追求し、体現する今上の勅の内容がいかなるものであろうと、今更驚く国民もあるまいし、今更国民を驚かしむる内容になるとも思われない。

もし、驚く者がいたり、驚きの内容だと感じる者がいたりすれば、当人はよくよく思案した方がよいし、そういう人物について、周囲の者もよくよく思案した方がいい。

翻って、当今、今上の勅をよく吟味することが必要なのかも知れない。公とは何であり、私とは何であり、社会とは何であるか。賛否の問題ではない。空気の問題でもない。もちろん、空気についての賛否の問題では全くない。
 

サンデイ盆ドライバ

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 8日(月)01時54分32秒
  昨八日は昊天晴、湿度は低めで、風もあり、気温の割には過ごしやすい日曜であった。好機を捕らえて草むしり。

夕刻の混雑が引いた頃合いを見計らって、行きつけのスーパーマーケットへ。道中の街道が込んでいたから、夕飯直前まで出発を遅らせた意味はあまりなかったような気もする。

「なんかね、果物を、買ってこと思っている」

スマホに向かって老婆が語りかける。その傍ら、カットフルーツの入ったプラのコップとも、ケースとも付かぬような容器をひとつひとつ取り上げては、そこの面をしたから見上げるように覗き込んでいる。

結局、全ての容器を検めた。棚にもどす時にいい加減な置き方をしたものは、段差に凭れて眠りこけている。後には汚らしくなった棚、平台が残るばかりでである。
 

暑い夏でも

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 8月 6日(土)16時06分31秒
  昊天に風が吹く。積乱雲の賜か、弊廬のまわりも、千代田のあたりも、この風が涼しい。いや、熱いのだが、暑いのを和らげてくれる。日陰に入れば「涼しい」とは言わぬまでも、凌ぎ易く、ともすれば熱が肌に心地よい。すっかり空調に飼い慣らされた中年の戯れ言かと自嘲しつつ、少年の遠い日に踏んだ西域の夏、緑州の水辺、並木の日陰を思い出す広島忌。

仕事場のそばのセブンイレブンには二匹目の泥鰌を狙った「八月六日夏の節分 恵方巻」。唯でさえ暑苦しい「丸かぶり」と、売らんかなの下心、伝統捏造で鼻高々の訳知り顔が、この昊天に鎌首をもたげようとしている事実に苦夏を煩いかねぬわと警戒しながら、学士会館の脇を通り抜けた。
 

ピカチュウ現象

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 7月23日(土)12時44分32秒
  「ポキモン・ゲウ」が流行しているという。日本にも昨日上陸したらしく、つい先ほど、早速若い男二人連れが一ツ橋河岸でスマフォ片手にウロウロしているのを見かけた。

引きこもっていた人々が外に出た、その治癒効果に期待すべきものがある、とは、他国から聞こえてきた声である。本朝でも麻生宰相が同様の感想を口にした。期待できるものには何でも期待したい。

だが、現実空間と仮想空間の融合は、必ずや病を生む。早晩問題になるはずだ。

人間とは生きる限り病むものである。動物だから当然である。加之、人間である以上、いつ心を病んでもおかしくない。悟性と呼ばれ、理性と称される認識能力があるかぎり、いかなることも種となり、いかなることをも糧として、心の病が昂じてくるものである。

今から備えておくべきであろう。
 

逆しまの理

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 7月22日(金)10時00分47秒
  たとえば「水圧」の説明だ。「水圧って知ってる? 知らない? 水圧はね、深いところに行くと強くなる。水圧がとっても強いの」。

宇宙は広いが、その涯はどこにあるのかという問に対して、巨大な入れ子構造を示す宇宙の単位を列挙して、涯がないと答えるの如何なものか。自分や地球という小さな単位、もしくは「一」があることと、「涯がない」ことの間の「矛盾」を知りたいという質問に対して、「更なる巨大な単位がある」「から」「涯がない」という非論理的な回答は、ピント外れでもある。

頑なに譬喩を拒み、無駄に厳格な説明で初学者を困らせる理系人がいる。譬喩や類比で話をしてはいけないところで譬喩や類比を持ち出し、論理的な話をしたような顔をしている文系人がいる。逆だ。
 

雨がそぼ降るラジオの朝に

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 7月22日(金)09時36分45秒
  「夏休み子ども科学電話相談」の季節が巡ってきた。聴取して、回答者本人と、その人が連なる言説空間を観察すると、文理の優劣といった議論の問題点が如実に見て取れるだろう。有り体に言えば、理系の人は得てして説明が下手だということである(勿論、素晴らしい例外も出演することがある)。  

器物損壊

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月20日(月)19時17分15秒
  タギングをはじめとする落書きをストリート・アートと呼ぶことに違和感を覚えていた。その所以をようやく突き止めた。

匿名性に淫しているからである。

それを芸術である、自己表現であると唱えるならば、作者の氏名、住所、電話番号を添え書きするがいい。あるいは、自宅の壁に人目も憚るような色彩とモチーフで描くがいい。それが出来れば本物である。

匿名性の思想を云々する向きもあるだろう。慥に面白い。だが、その志操には首を傾げる他はない。その間のズレを均すことができるとすれば、本物の思想と言えるであろう。
 

旻天のような摂州の朝

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月 4日(土)07時17分59秒
  高速移動は時間が節約できるけれども、やはり身体に負担がかかる。昨日、改めて痛感。今朝の天満橋には羊雲が飛んでいる。これから仕度の上、待兼山へ移動して所用。  

下阪の日に

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月 3日(金)17時25分49秒
  武州快晴、ただし、昊天の暑威が隠れている。摂州も快晴。やはり溽熱。

三番町に務めていたものが、いつしか一ツ橋に蜷局を巻くようになって、千代田城との因縁を感じることもないではなかったが、こうして下阪して天満橋に来てみると、そこにはやはり徳川氏の築いた大阪城である。番方にでもなった気分である。とはいえ、東海道を歩いて下るのとは訳が違い、いまでは新幹線であっという間だ。

新大阪から御堂筋線に乗り換えるのも、その経路も懐かしく、淀屋橋駅に蛍光灯シャンデリヤが耀いているも懐かしく、大人になって親しんだ京阪線の緑の車輛が待っていてくれたのも懐かしく、行き先が出町柳になっているのには驚いた。
 

裏側に潜む

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 6月 2日(木)12時42分34秒
  明るく、乾いた武州の快晴に光風が微かに動く。久し振りに富嶽を見る。稜線に雲が涌いている。ソウダフロウトのように青と白が解け混じっている。用水の滸、古い住宅地の深い深い心臓部には、愈々紫陽花が賑やかだ。西域を思う陽気、古を偲ぶ陽気、喪ったものが実は手許にあることを悟る陽気に、これより登営。会合に侍立である。  

関係者の無事を祈る

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月31日(火)10時54分7秒
  「人はなぜ目を醒まさないのか」「民衆の覚醒を信じて戦いましょう」といった言葉が飛び交って運動は先鋭化し、崩壊する。民主主義を理解していないことが如実に滲むもの言いである。関係者の無事を祈る。  

あわい

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月24日(火)23時17分9秒
  緊弛硬軟あって緩急がある。かくて物事はめぐり、立ちゆく。その理が汚穢を生むのも事実なら、その理が踏みにじられて汚穢を生むのも事実である。ここにも匙加減が潜んでいる。

夕霞堂左手窓外からは、闇の涼風。昼間の溽暑が嘘のようである。
 

矛盾するようだが

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月17日(火)17時59分18秒
  運動は成就しない。成就するのは運動の終わって久しい、次の世代である。それも、僅かに。見越して運動するものは、運動と呼ぶべき運動はせずに、別の動きを見せるものである。  

民主主義

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月15日(日)11時36分0秒
  自分の言っていることは正しい、だから聴け、と言っても聞いてもらえないのが世の中であり、聞かないのが人間だ。それでも聴けとがなりたてると、ますます聞いて貰えなくなるのがデモ。それで不満を溜め込んで先鋭化して分解したり、潰し合うのが内ゲバ。激情家と快感が交錯する場が作り出され、それで己の崩壊を早めるのが運動。

内容の正否と並んで、内容の導き方と提示の仕方が大切にされるのが民主主義空間であり、民主主義を可能とし、民主主義が回るための原理である。それを踏まえて行うのが正しい教育。正しい説を教えるのが教育だと思っている者は、あらゆる意味で正しい説を伝えることが出来ない。これが教育の貧困と社会の低迷を招く。

持説を開陳し続ける胆力と、それ(だけ)では実現出来ないことを弁えている知性、その両端を兼ね備えて、自らと他人とを律し、動かして行く嗅覚を持つのが政治家。その際に次代、その次に帳尻が合うように持って行くのが大政治家であり、その出現を可能にするのは、長い目でものを見る力を培った国民であり、民度である。

そうした諸々を全部台無しにするのも民主主義。癌細胞を連想すると判りやすいか。

だから人文学はやめられない。
 

要約

 投稿者:元夏迪  投稿日:2016年 5月13日(金)11時22分27秒
  「できるもの」と「つくるもの」とは違うというだけのことであるが。  

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