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一月経って

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 5月13日(水)03時25分42秒
  遠隔授業期間中、如何にして授業から遠ざかるかが鍵になりそうである。  
 

頭に石が詰まるような

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 4月29日(水)15時39分55秒
  手書きの人間がパソコンに向かう日々。手書きの人間といいながら、パソコンしか見ない日が続く。撰文もままならない。頭が濁る。今日は短いものを一点、書いておきたい。遠隔授業の摘要類を作る合間に。外はよい天気だ。雉鳩の鳴き声が聞こえる。  

聞く耳を持たない

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 4月27日(月)00時43分4秒
  「日本だって昔はいまの韓国や中国みたいに」と訳知り顔に言う人がいるけれど、聞く耳を持たない。工作精度の問題は同日の談ではないのだ。時代や使える技術を考えると、寧ろ後発開発国がどれだけもたついているのかということである。  

この程度はこの程度

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 4月27日(月)00時41分6秒
  あまり言いたくはないけれど、夕霞堂で使う主力マシンのusbポートが一箇所、接触不良で困っている。断続するので充電にも事欠くありさまである。基板はもちろん中国製。このような枯れた技術の規格品ですらこの程度の精度しか出せないのだから、今後はサプライチェインから外して戴きたい。不愉快であるし、時間の無駄である。同じメイカの古いマシンのポートは全て問題なく動いている。基板は日本製だ。  

閑かな陽射しに風が吹く

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 4月25日(土)12時14分31秒
  明るい陽の差す武州に風が唸りを上げている。その音を聞きながら、閑かな週末の午前中、目に見えないウイルスに振り回されて、夕霞堂でひたすらメイルを送る。

不始末、不安が世の中に充満していることを感じつつ、網上通信という迂遠で心許ない作業が意味を持つ不思議、頼りなさに、脆い社会、社会の脆さという、常日頃から脳裏に巣くう行動原理と世界観が正しことを痛感する。

今現在が、ではなく、現代社会が、でもない。電網や遠隔会議の仕組みが現代社会や今現在の強み、弱みを炙り出し、ともすればそういう方に目が行くことだろう。それがまた社会の行く末を誤ることになる。
 

発想がおかしい

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 4月23日(木)00時06分32秒
  考え方がおかしい人というのはいるものである。そういう人はいないと考える方がおかしいからである。無論、論ではない。事であり、ことによると定義にかかわる。  

雨露の音に

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 4月20日(月)04時34分36秒
  当たり前を当たり前と思って疑わないのが被治者。当たり前を当たり前と思わないのが統治者。  

雨音を聴く夜

 投稿者:夕霞堂隱士  投稿日:2020年 4月18日(土)01時28分41秒
  雨が降っている。篠突く雨が武州の大地や家並みを叩く音がする。丑三つ時の静けさが身体に染みこんでくる。贅沢な一時。騒然たる世情の裏返し。  

小人のさかしら

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 3月24日(火)10時20分27秒
  「出る杭は打たれる」という人は出た杭を打ち、覚えたての「忖度」を使って喜んでいる人は、日頃から他人の鼻息をうかがって生きている。だからこそ「ここ一番」という時にこうした言葉を使って自らを正当化するのであろうし、「ここ一番」を見誤ることなく、人の足を引っ張れるのであろう。  

(まだ)あったの(だ)

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 3月 1日(日)17時47分28秒
  「カウンタなぞまだあったのか」「久振りに見て違和感が」という向きもあろう。今までと外見の違うものを使っていることに加えて、「一筆箋」のセキュリティ引き上げに伴い、忍者ツールズの仕様が適合しなくなり、ブラウザ側で通信保護を解除しない限りカウンタが見えなくなっていたことも指摘しておく。  

カウンタ變更

 投稿者:夕霞堂隱士  投稿日:2020年 3月 1日(日)16時51分53秒
  題記下のカウンタを變更しました。これまで忍者ツールズ提供のカウンタを使用して參りましたが、令和三年2021三月一日月曜を以て廢止となる由、この際新たにFC2カウンターへ移行することゝ致しました。

これに伴ひ、新規カウンタは閲覽數を一から數へ直してゐます。

カウンタ直下の數字のうち、+69401は、舊板の閲覽囘數です。平成十三年2001四月一日日曜に舊板を設置した時點に起算し、平成二十年2008九月四日木曜に新板の稼働を始めた時點で結算したものです。

その右手に追加した+39260は平成二十年2008九月四日木曜新板稼働開始時に起算し、本日令和二年2020三月一日日曜十六時六分に新カウンタ設置、稼働開始時に結算したものです(合算すると+108661となります)。
 

政論

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 2月29日(土)04時12分41秒
  自分の好悪、主張を聞き入れる(かに見える)かどうかで政権や政治家を評価する者が極めて多い。知識人と言われる者にも少なくない。そう言う人は往々にして声が大きいけれども、政治を論評するに値しない。  

中毒と洗脳

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 2月28日(金)09時41分19秒
  テレビがないと駄目な人はテレビを見ない方がいい。なくてもいい人が見ると役に立つことはある。

当今の機器や技術は得てしてそうである。開発の段階でそろそろ織り込んでもよいのではないか。
 

「リベラル」

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 2月 3日(月)01時21分26秒
  当今の「リベラル」は絶対悪を設定することである。従ってリベラルたり得ない。  

「いのち」

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 1月28日(火)09時51分49秒
  「いのち」は人に訴えかける。論理を超える力がある。論理の根柢、前提が「いのち」であれば、それも当然である。短絡を将来する所以である。短絡は人を魅了する。それが「いのち」ならば、破壊力も満点である。「いのち」を口にするとき、厳粛でありたい。  

平成改元の日

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 1月 8日(水)09時04分35秒
  今日は平成改元の日。昭和六十四年正月七日が明けて平成を迎えた。昨平成三十一年四月三十日の翌日は令和元年五月一日であった。令和二年の今日、武州在は曇っている。平野部でも雪がちらつくとか、昨日とは打って変わって最高気温が十七度とか、それでも最低気温は四度とか、天気予報も色々だった。平成改元の日、新聞、テレビで色々な報道を目にしたけれども、今日の曇天のような単調なものだった。  

でっぷり

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 1月 8日(水)08時40分27秒
  縦に弱く、横にばかり気を配る。戦後がとは言わない。戦前からもそうである。この国の言説空間の姿である。明治維新のスピンが今もなお、と嘆息すること頻りである。スピンドクタたちは縦を踏まえて横を見たはずなのだけれども、横に気配りする縦の線ばかりが目につくのは如何なものか。  

異論はいらん

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 1月 8日(水)08時36分44秒
  コップの中で語る。コップの中を語る。どちらも同じか。畢竟、世界史とはそのようなものであることに気づいたのは随分と昔である。歴史とは、と言っても間違いではない(ただし「コップ」の比喩が果たす役割は些か変わる)。  

而立の上は

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 1月 4日(土)14時28分5秒
  ストライダに乗る丱童を見る。コマなし、ペダルなし、ブレーキなしの二輪車である。

転ぶと自分で立ち、ストライダを起こし、再び乗り始める児がいる。転ぶと転んだまま、周囲に目をやる児がいる。泣いたり、騒いだりして救いの手を待つことも多い。乗るのは二歳児からである(遊具対象年齢の定めによる)。二歳にして既に然様である。

この違いは成人にも多少の紆余曲折を経て持ち越されている。周りの学生、院生を見ていると熟々そう思う。だからこちらもじっと、それとなく見守るだけのこともあるし、傍に立って励ましてやらねばならぬこともある。勿論、手を貸してやれば話は早く、こちらのストレスもその分少ない。ただ、それ(で)は不佞の仕事ではないし、相手のためにもならない。

老いてますますこの違いは広がっていくのではないか。出来ることが一つずつ減っていく。出来たことだけが記憶に残る。その分、この違いは激烈な色彩を帯びることになるだろう。自分は少時、どちらの丱童だったか。老いを迎えるに先立ち、今の己をよく見つめる必要がありそうだ。
 

平常運転復帰

 投稿者:夕霞堂隱士  投稿日:2020年 1月 4日(土)14時16分20秒
  三が日も明けて、本日四日木曜「恭頌新禧」の賀を収めて「一筆箋」に復す。  

「サーバが見つかりません」

 投稿者:元夏迪  投稿日:2020年 1月 1日(水)01時18分15秒
  「雜談室」の敷居が高くなっている。テレホの時間まで待たなくてはならないか。  

2019+2020=4049

 投稿者:針鼠  投稿日:2019年12月31日(火)22時45分2秒
  Sunday Morning 日曜・・・今はTuesday Evening 火曜・・・さあ、今年も一筆箋のパソコン通信サービスにぴ~きゅるきゅるきゅる~ぴ~がががががっ、ぴ~~とニフティサーブをつないでチャットしまくるぞ!  

夕霞堂隱士

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年12月31日(火)18時46分54秒
  平成三十一己亥年(至四月四十日火曜)令和元年(自五月一日水曜)が暮れていく。今年は、いや、今年も早かった。老い先が急速に近づいてくる。来年はどのような年になるのだろう。いや、するべきであろう。吉例に従い、本日より「一筆箋」はしばらく「恭頌新禧」の賀詞を掲げる。  

修練

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年12月22日(日)17時23分29秒
  読むために必要な修練がある。母語でも然り。外国語や古典語なら勿論である。読めるようになったら世界は変わる。読めない状態で読み続けると、世界はくすむ。

見る。人間にとって根源的な営みである。これにもまた修練がある。見ると見ないでは大違いだが、見ると見えるもまた大分違う。

いずれも死ぬ迄修練だ。いや、修練できるものだ。
 

貪婪

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年12月20日(金)09時22分2秒
  旅行だと目一杯予定を入れて、貪欲に見て回り、体験しようとするものなのに、学窓にある四年間に遊びほうけたり、年限の見えない在世期間を無為に過ごすのは何故だろう。見聞、思索に当てられる時間には限りがある。その終わりがいつ来るかは判らない。大概は短い。長くても短く感じることが多かろう。長々しかったと振り返る場合は無為の悲劇である。後悔の念を慮外に置いても、まずは直ぐに終わるものと思うのが宜しい。見聞、思索で手に入れることのできるものは多く、また素晴らしい。雑菌まみれのスマホの画面を目で嘗めている場合ではない。  

軽快に語るラジオの翁の声に思う

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年12月20日(金)09時14分54秒
  思索し、発言しているつもりが、お仕着せの情報を紋切り型に垂れ流していた(大概の場合「アジる」と形容できる行為である)と気がつく日が来るかも知れない。気がついたら、老化、耄碌を疑うべきである。しかし、老化、耄碌をしていたら気がつかないかも知れない。今し方、ラジオを聞いていて、熟々恐ろしいと思う。しかし、何より恐ろしいのは老い故の頽廃ではなく、老いとは無関係の陋劣であり、さらに警戒すべきは若年にして既に発現する魯鈍である。それで見える世界に美しさもあるだろうが、その美しい世界がまた恐ろしい。  

終わりと始まり

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年12月16日(月)23時40分8秒
  単なる好悪に理窟をつけ始めたら終わりである。  

政見を観る

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年12月15日(日)13時16分4秒
  政治家を評価するのは難しい。直接会って感じる力が大きく物を言う世界である。目に見える情報だけで判断するのは危険でもある。とはいえ、何も判断しないのも困りものだし、目に見える情報で判断できる部分もある。

その人物が何らかの民意を代弁しているか。その人物が何らかの見識を備えているか。その人物が正しく討論しているか。その人物が正しく駆け引きをしているか。代議制のもとではこのあたりの判断を踏まえた上で政治家を評価せねばならない。然る後に纔て好悪である。

その好悪も、政見の好悪に先立って人柄の好き嫌いに目が曇ってあらぬ判断をしている者があまりに多い。勿論、最初に好悪の念を抱いて以下省略という者はさらに多く、寧ろそれがスタートラインであり、大勢であり、標準、平均である。民主主義の根柢が腐っているのだから、機能するはずがない。機能しているかに見えるときには何かがおかしいと思った方がよい。
 

騙された

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年12月12日(木)20時39分10秒
  「騙された」といって怒る人がいる。おかしな話である。「騙した」なら判る。「騙された」は自分に腹をたてるのが筋である。だから「騙された」という人は何度でも騙される。その度に「騙された」といって憤り、呪う。原因が自分にあることも、中毒していることも判らない。だから今日も「騙された」と言って憤る。  

閃き

 投稿者:元夏迪  投稿日:2019年11月30日(土)16時10分6秒
  布団に入り、頭が回り出す。大切なことが閃く。瞑想は深まり、思索が展開する。

起きたら忘れているだろう。いや、これほど鮮やかな著想と論理は流石に。──起きたら勿論忘れていた。覚えているのは起きたら忘れているだろうという懸念ばかりである。

十年くらい前は枕元にメモ帳を置いて留め書きをした。今はしない。書き付けを読み返して判るかどうか。判ったところで使う価値があるか。価値があっても使う時間があるか。

本当に大切なことや必要なことは思い出す。再び思いつく。忘れても、思い出さねばということを忘れ果てていても、向こうからやって来る。この身も在世半世紀に垂んとして漸く学んだ。
 

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