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この頃

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 6月17日(日)23時52分55秒
  最近、題下のカウンタが表示されなくなっている。気に入っているのだけれど。この投稿をする直前に管理用のページを覗いたら、39,047という数字が目についた。あっているかどうかは判らない。そもそもこの数字は訪問者数を示すのか。

針鼠さん、よう御越し。ザルツバッハ先生には宜敷言ってくれ。元夏迪との邂逅には長く険しい道のりを踏まねばならない。心身のコンデションをベストに整える必要があるのだ。看板を修理した店の隣で大盛りのカツカレーに盛り合わせを食べるだけでは済まない……後方[しりえ]の紳士の社交場で、あるいは斜向かいの摘発経験書肆でハードにせどりをして、見回りの巡査に職務質問を受けるくらいでなくてはならないのだ……そうすれば自ずと、道、は、拓け、る!

そういえば、シュタインブルンネン先生の書き物を初めて手に入れた。ネットでただだった。ただだったの字面が怖い。夜更けにはたっだだたでもだだたったでもたただっだでもだただったでもただだったでも全然いい。それが怖い。同志社大学で講演したものだ。正名論を展開するらしい。勢いよく積ん読だ!
 
 

次はグレートパンプキン(岡山)に集合だ!

 投稿者:針鼠  投稿日:2018年 6月 1日(金)01時14分42秒
  オレのカツレツに関する書き込み、チャンと見てくれたかい?あと広島でザルツバッハ先生がCaelius君に会いたがっていたぞ。  

晴れた

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 5月29日(火)18時43分23秒
  朝からひどく陰湿な武州で歩き、バスに乗り、鉄路を使ってレクチャラ、地下鉄に潜って演習、ディダスカロス。同僚二人が側の教室から引き上げる途中、打ち揃ってこちらの演習室に来て覗き込んでいるのに気付かず、検印や雑談で学生と群れている不佞に皆爆笑。そのまま小学館まで歩きながら、学問、学務に亘る対話に休み時間を費やし、地下鉄の移動に潰れた昼に食べそびれたカレーパンを食べそびれて今度はパンが潰れていく中、ディダスカロス業務へと先ほどの演習室に戻れば、演習から希語に流れた学生も慌てて昼仕度。跳ねて候所に帰れば晴れ。帰路の地下鉄が地上に出れば、遠く陽は傾いている。そんな一日。  

備忘録:鏈接一覧の手入れ

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 5月27日(日)15時54分25秒
  本網站の鏈接一覧も大分改修を要する時節となって来た。自分が使わぬ以上、目に止める閲覧者もあるまいが、そのうちに手を入れておくつもり。  

光風璆鏘

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 5月25日(金)10時18分48秒
  久し振りに紛う方なき昊天快晴。富嶽は霞んで見えないけれども、武州在の弊廬に閑かな光、それに風。

所用で用水脇の道を徒歩で往復して、帰館後に掃き出しの硝子窓を開けて網戸にする。ふと、家事の手を休めると、高い空に渡る風が唸るのを聞く。

善哉。奥多摩の山中で岩に腰を下ろして小休止、梢の間に遠く青空を見上げる時と同じ響きに人生を思い、宇宙の秘密と理法を知る。
 

心を浸してくる町で

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 5月20日(日)08時05分16秒
  陰溽の武州を離れて西に下るほどに青空が覗いた。瓦屋根が増える道筋を辿ること四時間、山陽新幹線を下りると、先行する親友が警告してきた通り、肌寒かった。原爆ドームのある町に来た。

二度目とはいえ、勝手が判らない町でバスに乗り、宿に着き、荷を解いてすぐに出る。脚の向いた大手町でせり上がるような橋を見る。標柱に「万代橋」と刻んである。川面は意外に広く、遠くに山を拝む風情は京都の三条辺りを思わせる。

土曜の昼下がりゆえにか、広い街衢はいよいよ広く、寂しく、疎らな光が散っている。島に聳える不思議な形の建物はアステールプラザと称する。希語の「星」だ。

大きな部屋でローマ帝国研究者と、十八世紀イングランド議会研究者の話を聴く。なかなか講義を聴く機会も少なくなってきた身には、集まった人の数だけ講義や論題があるかと思うと、心が躍る。

その一方で「それを知って冥土に行くのか」「折角知ったそれを置いて冥土に行くのだ」という声がどこからともなく胸に響いてくる年格好になると、粛然とする機会も増える。蕭然、いや、悄然と言ったがよいか。生まれてきて、生きて、懸命に攫もうとするものは大切にしたい。肌寒いよと警告してくれた旧友と久し振りに席を並べて話を聴きながら、自らを省みる。

日も傾いて独り催事を離れ、裏通りに小さく灯りを照らすカレー屋の小綺麗なカウンター席に客一人で座りながら、コンクリートの寺院が目立つ一帯を歩きながら、路面電車が二台も三台も玉突き状態で先を急ぐ大通りに佇みながら、薄闇が心を浸していく。心が薄闇の中に融けていく。そういう町なのだろうか。

日曜の朝、目の前に窓がある。窓の外には白い壁がある。空模様は判らない。恐らくは涼しく晴れている。今日の会場は昨日と違うが、宿から歩けばすぐそこだ。九時の会合に間に合うよう、朝暾に心を浸しながら、閑かに歩を進めよう。沢山の知識が待っている筈だ。
 

まつもとある

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 5月 8日(火)07時11分48秒
  乃公は終わった。また徹夜だった。リスペクトしていい。リスペクトをリスペクトしてもいい。とにかく仕事だ。レクチャラ、移動、演習、ディダスカロス。  

はまだない

 投稿者:針鼠  投稿日:2018年 5月 7日(月)23時36分15秒
  講義の準備が終わらない・・・もう休講をリスペクトしようかな・・・それともビデオを1時間ほど流すのをリスペクトしようかな・・・  

尊敬の念

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 5月 5日(土)01時54分33秒
  すぐに「リスペクト」と口にする風潮が、ただでさえ軽い「リスペクト」を益々軽くするのが皮肉である。  

料簡

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 4月16日(月)00時29分41秒
  公園でベンチの前にピックニックシートを拡げる。喫茶店で鞄に一席与える。  

頓悟

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 4月 9日(月)00時35分24秒
  昨日曜微陰、子供広場に佇んだ。灌仏会に帰省した序でである。

茶畑や菜園の一部を潰して、地区の用に供した広場である。かつては里山の麓にあった広場が、地主の都合で使えなくなり、代わりに用意されたものでる。地主の厚意による。

古びたプラスチックのベンチが端の方に置いてある。広場の真ん中ではないけれども、端ではないところに、畑の頃から立っている小さな木が、頼りない木陰を作っている。地面には青みを帯びた砂利が撒いてある。正月の餅搗きの折に焚き火を焚いたところには、今も微かに炭の残骸が混じり、そこだけ丸く雑草のない地面が顔を覗かせる。

雲の浮かぶ空が見えた。向こうの里山には通った小学校や、昭和後期の新興住宅地「○峰」が新緑に埋もれている。広場の柵の向こうは、昔から佇まいの変わらない百姓屋と茶畑が見える。広場の地面には所々蒲公英の群落が黄色く輝き、陽光の熱を攫う風が冷たかった。背後に目を転じれば、また別の里山、あるいは丘が今度は近く、茶畑や桐の木を消し去った住宅群が零れそうに犇めく。

ぐるりと見回して、子供の頃には退屈きわまりなく思われた景色の中に立つ懐かしさ、床しさを覚える。自分が退屈きわまりない人間になったからなのだろうか。温もりを感じる大気が体温を奪っていくからだろうか。物を見続けた目が肥えたのかも知れない。ああ、自分はいまここにいる。ああ、自分はかつてここにいた。子供時分に遊んだ子供広場は古い方ながら、今の子供広場で駆け回り、戯れる児童を眺めていると、俄にそんな感慨が身体の隅々に染み渡った。世界の広さを感じる一瞬であった。
 

萎れる昭和

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 3月20日(火)09時22分19秒
  灰色と黒、毛糸っぽいなりでマクド二階の四人席に一人で来て、掃除用のコンセントに延長コードのプラグを差し込み、その先には愛用のノウトピーシー、テーブルにはお気に入りの本。もちろん団塊。  

時空を超えて

 投稿者:針鼠  投稿日:2018年 3月10日(土)02時38分38秒
  2017年10月20日のメッセージ、今しっかと受け取った。ありがとう!もう要らないよ!
いまずっとピンク・レディーをyoutubeで見ていたのだが、本当にいい。
 

平成道路の上

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 3月 2日(金)13時38分32秒
  煙草の吸い殻は落ちているものである。情けないことに、今もなお。悲しいことに、今後もずっと。  

戦後農地の今

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 3月 1日(木)17時24分38秒
  すぐ放置する。すぐ更地にする。すぐ建売に出す。軈て寂れる。脱殻が残る。  

芸術

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 2月20日(火)12時13分24秒
  「芸術」(に類する概念)は評価の枠組みと、それに関する称であり、本質、性質に基づく分類ではない。それが本質、性質に基づく分類として運用されるところに「芸術」(に類する概念)の難しさと特質がある。本来芸術作品とは事後的に認定されるものながら、実際には芸術作品としてものを作る人がおり、そういう営みを芸術と呼んでいる。  

人は見ている

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 2月19日(月)02時33分46秒
  人は見ている。捨てる神あれば拾う神あり。人は見ている。侮るべからず。  

遅れ馳せながら

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 1月19日(金)17時56分37秒
  平常運転に復す。  

歳首元旦

 投稿者:元夏迪  投稿日:2018年 1月 1日(月)09時32分41秒
  上天快晴の眩しい元旦を迎えた。大晦日の冷たい曇天から、放射冷却著しくとも、暖かい武州の朝である。茶畑の彼方からは「おめでとう」と叫ぶ丱童の声が響き、路地には郵便配達の単車の音。平穏無事がなり難い一年なるべしとは思いつつ、平穏無事を祈る朝である。祈らざるを得ぬ朝と言おうか。弊廬の郵便受に年賀状が立てる音も響けて来たようだ。  

さかしら

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年11月24日(金)20時19分6秒
  知を私して小利、知を公にして大義。大義は悠々、小利は汲々。  

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年11月24日(金)00時21分47秒
  知を私するのは狭く、暗い。知は公にしてはじめて知であり、広く明るいものとなる。知識を自恃の拠り所とする奇態の非なる所以である。  

七五三

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年11月 4日(土)10時44分12秒
  昨日に続き、旻天は碧く、眩しい。麗日というには季節が違うけれども、穏やかな快晴の武州である。昨日、今日と、上水の滸に家族の姿を多く見かける。御受験は御時世であろうが、宮参りは床しい俗である。武州の各地に鎮まる柱々は今日も若い命を迎えて言祝ぐであろう。  

君に必要なのは

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年10月20日(金)08時25分10秒
  針鼠さん、よう御越し。これか。  

ひろう(疲労の意味。拾うじゃないよ)

 投稿者:針鼠  投稿日:2017年10月20日(金)00時30分16秒
  ロシア語を英語に直すのが面倒くさい。すごいゆっくりしか進まない。一日この仕事だけに専念できるわけでもない。朝は早く起きねばならない。疲れた。  

桜樹転地

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年10月16日(月)22時46分2秒
  聞いてはいたけれど、路地の突き当たりを右手に曲がり、用水の滸に出ると、本当に小さな梅林が消えていた。ちょっとした苑地には紅白梅に桜。白梅は鶸萌黄の萼が花弁に透けて美しかった。

今は隅に桜の木が傾いだまま放置されている。これも根扱ぎにされ、枝も適当に払われて、無残な姿という他はない。切り揃えて積み上げてあると聞かされていた梅の幹は既になく、敷地は掘り返した土の生々しい色ばかりが目立ち、水色のシートで覆った小型重機が酷い。また来年、この小園地でこの花々を──といつまで心待ちに出来るのだろうかと思った今年の晩春、この秋の日のあるを予期だにしていなかった。曇天の用水に久方ぶりの通水を見ても、心は萎れる一方である。

あの桜、主人と一緒に転居するらしい──後でそんな話を人づてに聞く。それならばまだしもと胸を撫で下ろす。通りがかりに重機と桜に目をやり、来春会えなくっても花は咲くと喜んでいると、狭い用水の対岸で、庭の小さな祠の前を重機で掘り返した邸がある。ハテ、もしや。翌日通りかかると、案の定、件の桜は用水のこちらからあちらへと、目と鼻の先の転居を終えて佇立している。

来春、花を付けるだろうか。どんな花を付けるのだろうか。いまからどうにも気に懸かる。
 

あやまる

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年10月16日(月)02時21分45秒
  選挙戦も折り返しを迎え、マスコミの病勢は募る。恒例とはいえ、困ったものである。

見られている自覚はないのか。いつもの手口がとうの昔に見透かされていることに気付いていないのか。自覚し、気付いてなおこれだとすれば「困ったものである」で済む話ではない。

今回の衆議院選挙では従前を遥かに凌ぐスケールで愚かしさが目につく。ちゃちな調査で一方的な勝利を予測してみたり、文脈を無視して失言を捏造しようとしてみたり、おかしな人々のおかしな現状分析に同じて社会正義の実現を説いてみたり──最早害である。

それも劣化著しい筆が書き立てるのだから、目も当てられない。無論目を逸らすことなく蒐集し、観察しはするのだけれども、その魂胆を憐れみ、その無節操に戸惑う他はない。吁嗟愚哉。
 

寸胴型怒鳴り流

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年10月 9日(月)04時20分31秒
  この夏に故あって翻訳書を繙いた。高名なイタリア人の仕事を高名な訳者が邦語に移したものである。

やはり読めなかった。性とはいえ、歯痒い。

原著の行論の緩み、論証の甘さ、また誤解や飛躍も頭痛の種であった。しかし、訳語という障壁に較べれば、それも些事と言うべきである。

あまりに不可解な文章に業を煮やし、繙読する旅先で網上グーグルブックに接続し、原著見本頁を呼び出す。宥め、賺し、説き、補い、譲り、押す。原文には措辞結構の基本が当然の如く踏まえられ、心地よく文章が流れている。それがどうであろう。訳文では全てが平たく、のっぺりとした、抑揚も強弱もないインクの染みと成り果てている。延々と、ひたすら怒鳴り続けている。

一文の範囲で言えば、取り敢えず大過なく訳してあるものも、次の文との兼ね合い、段落における役割、連なる段落の機能を充分に見極めて邦語に移さねば、文意を追える道理がない。全てが均しく主張すれば、全ての主張を聴き入れるか、全ての主張を聞き漏らす他はない。耳聡い仁が全ての主張を心に留めても、原語に通う軽重を悟らねば著者の趣意を掬う術もなく、趣意を掬えねば一篇の論旨を見誤るだけである。

翻訳の名手と聞こえた人々の仕事にもこの病が巣食っている。何故だろう。翻訳大国として歩む本朝がこれで歩んで来られたのも不思議である。めりはりをつけるだけで事足りるのに。そのための仕掛けは邦語に豊かであるのに。
 

手で考え、手で綴る

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 9月 7日(木)00時25分29秒
  撰文には電算機が欠かせない。想を凝らすにも、文を構えるにも、辞を整えるにも。

抑も文献を繙読するにも電子媒体が増えてきたし、紙があっても持ち歩きを考えれば電子媒体に手が伸びる。

物を調べるにもインタネットの活用が必須の時世である。邦語のウィキペディアや個人研究、調査を発表する網站はさほど見ないにせよ(言説の在り方を観察する素材にすることはある)、各般の論文や研究機関の網站、資料集成や雑誌、新聞の外語記事などに張り巡らされた網の目を辿らずして調べ物をすることはもはや叶わず、調べ物の手がかりを得ることもまた難しい。

それにも拘わらず──あるいは、それ故にこそ──紙と手が撰文に持つ意義は愈々重い。箚記を作るに簡便、書式、形式を離れて線を引く自由、掌を中心に展開する神経が複雑、精妙な手指の動きと聯動して脳を刺激する緩急が、凝り固まった視野と発想を解きほぐし、思考に柔軟な飛躍を生む。措辞に照りを添える。

草枕の空の下、久し振りにダイヤメモを繰る日々を過ごして、つくづくそう思う。手書きのメモはタイプしてそのまま何かに使うこともなるだろうし、旋律のある運筆を眺めながら、或いはタイプする過程で、更なる飛躍を誘う回路としても機能することになるだろう。
 

熟す

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 9月 1日(金)10時02分44秒
  遅れて蒼空に飛び込み、定刻に成田空港の鉛白の空に降りてきた。成田空港のどこにいるのか判らない。汽車に乗ろうと改札まで行き、第一ビルであることを知る。車内放送を聞くに、何だ第三ビルとは。

十時間に垂んとする機中、シベリア上空に差し掛かる頃、久し振りに映画を見た。『大手牽小手』という香港映画であった。毛布にくるまりながら泪ぐむ。齢のせいか。ならば老いるのも悪くない。

ただ齢のせいで、このところ目が疲れやすくなってきた。開けようと目の前の網に挟んだ読みさしの書物を広げるのは諦めた。殆ど誤訳というべき悪文も厭わしかった。ただ、必要に迫られ敢えて原書を斥ぞけ、悪訳を繙く日常よりも、今は静かに瞑目して反芻すべきことが他に沢山ある。そう思い至ったからでもある。老いて頭の回転が落ちてきたけれども、老いて頭の使い方がましになってきたということであろう。

窓外には熟し始めた田圃が広がる。鉛白の天が熟れ始めた稲穂の妙なる黄味を引き立てる。豊葦原瑞穂の国に帰ってきた。
 

晴れた空に

 投稿者:元夏迪  投稿日:2017年 8月31日(木)20時29分53秒
  蒼空が広がってきた。もう半時間もすれば搭乗が始まる。一時何ほどで離陸だ。北方を去るに当たっても、晴天であることを願いたい。  

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